2019年1月25日金曜日

散髪の思い出

今日(1/25金)のこと。   ☀     仕事

夕方、風呂に入る前に頭髪を刈った。自分でやるのだからその気になりさえすれば何時でもできるのだ。刈ってすぐに風呂に飛び込めばいいので風呂に入る前に刈るというのは都合がいい。その気になればいつでもできる、できる、と思っているとズルズルとしていしまうのだが、今回は、まだ十分短いにもかかわらずバリカンを握ってしまった。

翻って、2号のヤツは当然小生より髪の伸びが早いのだが、近頃、刈ってくれという声を出さない。小生の刈り方は、ほぼ坊主同様にするものだから、少し抵抗心が出てきたのかもしれない。いつまでも小生が刈るのもどうなのだろう?自分の意思で、床屋でこういう髪型にと言って刈ってもらうのもいいのじゃないか。床屋のおじさんと会話をしながらというのもいい経験になりはしないかと思うのだ。

小生の子供時分、床屋のおじさんに「おまえの髪の毛は多すぎるし硬すぎる。ハサミがすぐに切れなくなる。手が疲れる」と言われたことは今でも覚えている。その髪も今や見る影もなく本数が減り、残っている髪の毛も赤ちゃんのそれと間違うほど細く柔らかくなっている。あの床屋の親父は近所では「たいっちゃん」と呼ばれていて、2号の母親が赤ちゃんのころ、小生の父が黙って散歩に連れて出て、ついでにたいっちゃんに散髪してもらったことがあった。その髪型が当時でももうやらないだろうというお河童。首元は綺麗に剃利上げてあって青々になって帰って来て、カミさんがその時代感覚に唖然としたことがあった。我が家ではそれ以来たいっちゃんのお世話になることはなかったが、散髪の話になると最後はあのお河童の話になってしまうのだ。我が家ではお河童のことを「たいっちゃんカット」と言うのだ。そのたいっちゃんも存命なら100歳はとうに過ぎている。